これらがなければ、もっともっとあたたかい家庭があったのだろう。
そんなふうに思うことが3つあります。
親から子どもに向けての行動で、確実に嫌われるポイントを紹介していきます。
①恩を着せる
「大学まで行かせてやった」
「子どもにたくさんお金をかけてやった」
こんなふうに言う親がいます。
何をもってして威張っているのかわかりませんが、子どもにお金がかかるのは当たり前。
子どもにお金をかける親の、なにが偉いのか?
お金をかけてやった、だからなに?
誰しもタダでは生きられないのだから、子どもを持とうとする人なら知っておくべき事実。
子どもを持つも持たぬも自由なのだから、お金をかけるのが嫌ならつくらなければいいだけの話ではないでしょうか。
子どもが大人になったら、親に恩返しをするべきだと勘違いしている人もいます。
恩返しをするかしないかは、その親を見てきた子ども自身が決めること。
子供は自分の意思では生まれてきません。
命が生まれるすべての原因は、必ず父母となるふたりにあります。
子どもは一方的にこの世に召喚される立場。
しあわせにして当然だし、大切にするべき存在です。
自分たちの教育に問題があることから目をそらし、子どもを否定しても良い方向には進みません。
生まれてきてほしくて呼び寄せたのは親なのに、恩を着せるのは傲慢というものです。
②過度な干渉をする
子どもにも人格があり、親とは異なるひとりの人間です。
良かれと思ってのアドバイスがうっとおしく、大きなお世話になっている場合もあります。
意識的かどうかに関わらず、子どもへの支配欲が強いと過干渉に走ってしまいます。
過度な干渉が嫌われるのは、相手の気持ちも考えずに、土足で心に立ち入りすぎるから。
信じてもらえていない、疑われている。
さみしさや悲しさ・憤りを感じ、親と関わりたくない気持ちが強まっていく。
子どもへの愛情を示すなら、信じて自由にさせることです。
社会的にいけないことや規律はしっかりと教えつつ、子どもが興味をもったことは親の先入観で止めたりしないこと。
赤ちゃんではないのだから、ある程度成長した子どもにはいちいち干渉せず、「可愛い子には旅をさせよ」の精神で関わってほしいのです。
③支援せずに小言をぶつける
恩を着せるの項目でも触れましたが、子どもを育てるのにお金をかけるのは当然のことです。
別に偉くもなんともなく、親としての義務なのです。
せっかく生まれてきてくれた子どもに恩を着せるなんてもってのほかですが、自立して独り立ちした子どもに、金銭的な支援をしていないのに小言をぶつけるのも論外です。
小言には、嫌味が含まれていることが多い。
子どもが親の思い通りにならないことが悔しく、嫌味が出てしまう。
しかし子どもにとっては、お金の支援もないのに口出しされる筋合いはありません。
子どもの生活は、子どもの管轄下にあります。
そもそも筋の通った話なら耳を傾けるものです。
筋が通っていても耳を傾けてもらえないなら、親としての信用がない証拠。
あなたのアドバイスなんていらないよ、という無言の返答として受け取っていいでしょう。
どうしても小言をぶつけたいなら、まずは金銭的な支援をしてからにしましょう。
愛情と履き違えていないか
恩を着せられて嬉しい、過干渉されて嬉しい、小言や嫌味を言われて嬉しい。
そんな人はなかなかいません。
恩を感じて自然と感謝の気持ちが湧いてくるのは素晴らしいことです。
しかし、子どもに恩返しをしてもらうために恩着せがましいことを言うのは、とても恥ずかしい行為です。
危険から守る、子どもがしたことの責任を取るのは素晴らしい。
しかし、最初から責任を取らなくて済むよう、干渉し過ぎるのはうっとおしい行為なのです。
いちばん役に立つのはお金だから支援する、そして求められればアドバイスもするのは素晴らしい。
ただし、思い通りにならずに気に入らないからと嫌味を言うのはかっこ悪い。
自分が子どもだとしてもされたくないことを、親になると平気でしている人を見かけます。
愛情と履き違えてこれらの行為をやらかしていないか、肝に銘じておきましょう。
もしわたしが子どもを持つことがあれば、上記の3つはなんとしてでも避ける。
自分がされて嫌なことは、どんな人が相手でもしてはいけません。
この記事を読んで、少しでも役に立ててもらえたら嬉しいです!
読んでくれてありがとう。
しゃなりぉー!(・ω・)/
オピニオンブロガーしゃなり
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