
力のある人間が体罰をおこなってニュースになる事件があとを絶ちません。
昔は体罰なんて当たり前だった、今はちょっとのことでいじめや犯罪として報道されるから大変だとの意見を耳にすることがあります。
果たして本当にそうでしょうか?
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体罰の正当化は言い訳
体罰が正しいと答える人は勘違いをしています。
教育がはじまった明治時代は、穏やかで平和な教育方法でした。
体罰が見られるようになったのは昭和10年以降であり、戦争を理由に海外へ渡った人が持ち帰った軍事教育が導入のきっかけです。
最初から体罰が主流ではなかったのです。
正当化する中には、戦前に取り入れられた軍事教育を受けて育っている人もいます。
自分が受けた教育は正しかったと思いたいのが人情。
自分も受けている体罰は、いまの子どもが受けてもなんらおかしいとは思わないのです。
力でしか解決できないのは下等な証拠
教育というものは体罰があって然るべきとする意見は、本来の教育方針とはズレています。
学校教育がはじまった明治時代、教師となるのは指折りのインテリばかり。
少しさかのぼって平安時代だって、教育が許されたのは上流階級の人間だけでした。
昔は圧倒的にわかりやすい差別があり、貧しい家庭では教養を受けること自体が許されない時代もあったのです。
勉強するというのはそれほど尊く、大変なことでした。
暴力で解決するような人間が、当時の高等教育を受けられるでしょうか。
教育自体が受けられなかった時代も確かにあります。
しかし、今は違います。
教育は義務づけられ、学べる場所が用意されています。
教養は家庭や学校・人との関わりでも身につけられるし、学力は本人の努力次第で磨くことができます。
力で制する方が容易に思え、知恵で解決など視野にも入れない、もしくは己の知力不足を直視できずに音をあげた人が暴力に走るのです。
それが認められ、正しいとする教育がなされてはいけません。
戦争は二度度繰り返してはいけない悲惨な出来事です。
すぐに暴力に頼ることをやめ、知力をもって解決を目指すべきだと強く思うのです。
体罰を正当化するのに、わたしは反対です。
いじめも体罰も肯定してはいけない
いまは戦争が終わり、軍事教育は必要なくなりました。
体罰をよしとしたのは時代ゆえの苦しい教育が原因であり、いまを生きるのに適した風潮でないのです。
突然ミサイルが飛んできたりもするため、いざというときのために武力は必要です。
しかし、常用するための手段として備えるものではありません。
生まれてきた人間は本来、誰しもが幸せになるべきです。
学校でのいじめも体罰も「仕方がない」などど肯定せず、できる限り子どもを守って平和な教育理念を掲げるべきなのではないでしょうか。
この記事を読んで、少しでも役に立ててもらえたら嬉しいです!
読んでくれてありがとう。
しゃなりぉー!(・ω・)/
コラムニスト:オピニオンブロガーしゃなり
instagram:(@syanario)
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